100キロババア[100キロババア] 四倉
伝承・伝説
いわき市新舞子の海岸沿いの道路を時速100キロ以上で走ると100キロババアが追いかけてくる!という都市伝説があった。
赤猪の伝説[あかいのししのでんせつ] 小川
伝承・伝説
むかし、赤井嶽には猪が多く、その中に巨大な赤猪がいて土民を悩ませていたという。そして石城国造建許呂命が猟師を率いて山に登り一の矢で野猪の腹を貫いた。手負いの赤猪は北山に逃げたので建許呂命はこれを遂い二の矢でついに射とめたという。
いいじまホビー[いいじまホビー] 平
伝承・伝説
模型、プラモデル、Nゲージ、ミニ四駆、モデルガン、ラジコンなどなど、戦後から現在まで少年たちを胸熱にするお店。
色街[いろまち] 平
伝承・伝説
明治39年の平の大火により町財政は破綻の危機に陥る。小学校建て替えのための資金の流用でも足りず、平町は、黒ダイヤ景気に湧く炭鉱や浜の環境を背景に、五色町近を花魁が彩りを添えた大江戸の昔を偲ぶ大歓楽街として再開発をすることになった。鎌田方面へと向かう旦那衆を運ぶ人力車は引きも切らず、轍の音が糸を織るような賑やかさだったという。
出典元:いわき地域学会潮流第39報別刷 おやけこういち”平遊郭”とその時代
磐城炭礦平発電所[いわきたんこうたいらはつでんしょ] 平
伝承・伝説
大正4年ごろ 磐城炭礦平発電所として建設着手、大正9年から発電開始。大正時代東北一の自家用火力発電所だったという。昭和50年に廃止された。
うめや[うめや] 平
伝承・伝説
平南町に店を構えていた”うめや菓子店”。昔ながらの和菓子屋で、朝早い時間から餡子を炊いていた。名物の茶まんじゅうや大福は、おやつや手土産として街の人に大変重宝された。
浦島太郎伝説[うらしまたろうでんせつ] 四倉
伝承・伝説
四倉の下仁井田の諏訪神社はその昔、仁井田重兵衛の家だったという。ある日、浦人が亀を捕らえたところに通りかかった重兵衛は、金を与え、浦人や亀に酒を呑ませて放した。するとある日、乙姫様が亀に乗って迎えに来た....という伝説が残っている。
出典元:いわき市観光サイト
えなちゃん[えなちゃん] 江名
伝承・伝説
2021年、江名港にゴマフアザラシが現れ、浮桟橋でくつろぐ愛らしい姿が注目を集め「えなちゃん」という愛称が付いた。
赤えんぴつ[えんぴつ] 平
伝承・伝説
競輪場が開かれる日には、かつては駅前大通りに出店が並ぶ賑わいがあったという。試合後には、道のあちこちに赤鉛筆が落ちていたとかいないとか...。
片倉製糸工場[かたくらせいしこうじょう] 平
伝承・伝説
現在いわきイオンのある場所には、富岡製糸場の兄弟会社である片倉磐城製糸株式会社があった。かつては市内各地で家庭内手工業での養蚕が盛んだったため、そこで生産される生糸を一括して買取り、効率的に加工することで、会社は巨万の富を得たという。
活動写真専門館・平館[かつどうしゃしんせんもんかん・たいらかん] 平
伝承・伝説
昭和の中頃に迎えた映画文化全盛の時代、いわき地方平字南町に初の活動写真専門館として平館はオープンし人気となった。昭和20~30年代の映画の戦後の全盛期にはいわき地方に47館の映画館があったという。
出典元:「懐郷無限」斎藤伊知郎著
河童[かっぱ] 平
伝承・伝説
各地に河童の伝説が残っているが、平の中神谷では、馬に悪さをする河童を見つけた馬方が、河童を懲らしめようとしたところ「これからは悪さをしません」というので許してやり、それ以来、河童の悪さは無くなったという伝説が残る。
出典元:夏井芳徳著「いわきの伝説ノート」
狐塚[きつねづか] 四倉
伝承・伝説
北条時頼が東北地方を巡り歩き、四倉で宿をとった時のこと。夜中に狐の声で目を覚まし外に出ると数千もの狐が集まってきて鳴いていた。不憫に思い「なつもきつねになくせみのからころも おのれおのれのゆくすえをみよ」と一句詠むと悲しげな声はぴたりとやんだという。朝になると狐は全て骸となっていた。
出典元:「いわきの伝説」草野日出夫編著
鯨[くじら] くじら
伝承・伝説
いわきの海岸を舞台に古式捕鯨の様子を描いた絵巻「紙本著色磐城七浜捕鯨絵巻」が見つかったことから、磐城平藩内藤家の時代にいわきで捕鯨が行われていたことが注目されるようになりました。
出典元:海と日本PROJECT in ふくしま「磐城国 海の風土記 vol.10」
熊見温泉[くまみおんせん] 内郷
伝承・伝説
石炭の採掘の際に生じた温泉水の排湯口の集約工事が昭和32年2月に完了し、新川に設置された送湯管からは摂氏46度のお湯が滝のように川に注ぐことになった。川岸に脱衣小屋が次々と建てられ話題になり「クマミ温泉」として人気を集めた。その後、様々な理由により昭和33年7月に撤去命令。昭和34年秋には姿を消した。
出典元:いわきの『今むがし』
芸妓[げいこ] 平
伝承・伝説
平芸妓屋は今の揚土付近からはじまった。名妓「小春」「小勝」など名の残る芸妓もおり、大正五年には一六八名を数えたという。明治の頃は、若い芸妓はつぶし島田、年増芸妓はいちょう返しと、時代の移り変わりと共に花街情緒を作り出していた。
出典元:「懐郷無限」斎藤伊知郎著
国産奨励大博覧会[こくさんしょうれいだいはくらんかい] 平
伝承・伝説
大正14年、大正デモクラシーの波に乗って西欧文化がもてはやされていた時代、国産品を見直そうと訴えた大博覧会。専売特許のメイドインジャパンの新発明品が陳列・披露され、大変な賑わいようだったという。飛行機からチラシをばら撒くという驚きの宣伝がなされ、地元産業の振興にも大きな役割を果たした。
出典元:「懐郷無限」斎藤伊知郎著
こどもの村[こどものむら] 四倉
伝承・伝説
体育館、ゴーカート、卓球、野球、小さな動物園、バンガロー、アスレチック、ローラースケート場、などもあったという。