いわき震災伝承みらい館[いわきしんさいでんしょうみらいかん] 平
歴史・観光・行楽
地震・津波・原発事故という複合災害の経験から、震災の記憶や教訓を後世へと伝え、危機意識や防災意識の醸成等を図ることを目的として整備された施設。
出典元:公式サイト
いわき総合運動公園(上荒川公園)[いわきそうごううんどうこうえん(かみあらかわこうえん)] 平
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各種スポーツ施設を有する総合運動公園。陸上、野球、テニス、弓道、水泳など、様々なスポーツを楽しめる。
出典元:いわき市観光サイト
いわき平競輪場(空中バンク)[いわきたいらけいりんじょう(くうちゅうバンク)] 平
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プロのアスリートたちが競輪専用の自転車で疾走する姿を、バンクの内側から間近に観戦できる国内唯一の競輪場。「空中バンク」と呼ばれている。
出典元:いわき市観光サイト
磐城平城本丸跡地[いわきたいらじょうほんまるあとち] 平
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磐城平城、別名を龍ヶ城(りゅうがじょう) 鳥居忠政が入封後、磐城平藩の政庁として、また仙台藩伊達氏に対する備えのために1603年から12年間かけて築城された、梯郭式平城。天守は造られず本丸の三階櫓が代わりとなった。 以降、内藤氏、井上氏、安藤氏と城主が代わった。 戊辰戦争では奥羽越列藩同盟軍が城に拠り、激しい攻防戦の末に敗れ、城は自焼した。
いわき七夕まつり[いわきたなばたまつり] 平
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いわき市最大級の夏祭り。七夕飾りが商店街を彩り露店が並ぶ。七十七銀行が七夕飾りを飾り、街に広がった。「平七夕まつり」が始まったのは昭和9年。令和元年に「いわき七夕まつり」に。
いわきPIT[いわきぴっと] 平
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一般社団法人チームスマイルによって開設。東日本大震災からの復興を果たすため、エンターテインメントを通して「こころの復興」を目的とした活動を行った。
いわき万本桜プロジェクト[いわきまんぼんざくらプロジェクト] 平
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東日本大震災と原発事故の教訓を後世に伝えようと、志賀忠重が中心となり2011年にスタート。思いを込めた桜の木を、中国で「永遠」を表す数字「99」にちなんで9万9千本植えることを目標に活動を続けている。世界的に活躍するアーティスト蔡國強も協力者として関わり「回廊美術館」などいくつかの作品が置かれている。
いわき・ら・ら・ミュウ[いわきららみゅう] 小名浜
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海を眺めながら新鮮な魚介を堪能でき、名物メヒカリなどいわきならではのお土産を買うこともできる物産センター。
出典元:いわき市観光サイト
宇宙岩[うちゅういわ] 三和
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いわき市三和町差塩の標高670メートル・一本山毛欅の頂上にある。地元では「ブナ石」と呼ばれ、パワースポットとしても人気がある
エスパルいわき[エスパルいわき] 平
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常磐線いわき駅に直結するショッピングセンター。常磐興産直営のレストラン「ハワイアンズキッチン マハロア」や、常磐もので人気の「大川魚店」、お土産ショップに加え、期間限定で様々な専門店の出店も楽しむことができる。また、時空マップは「エスパルいわき」の3F壁面に設置されている。
出典元:公式サイト
絵本美術館「まどのそとのそのまたむこう」[えほんびじゅつかん「まどのそとのそのまたむこう」] 平
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建築設計は安藤忠雄、2005年竣工。約1500冊を誇る絵本が壁一面に美しく飾られ、一面のガラス窓の向こうには太平洋がどこまでも広がる。
出典元:いわき市観光サイト
奥羽出張病院跡[おおうしゅっちょうびょういんあと] 平
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戊辰戦争当時、新政府軍によって設置され、敵味方の区別なく傷病兵や住民の治療にあたった。この実践は、日本の地域医療の礎となったと言われる。
大國魂神社[おおくにたまじんじゃ] 平
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周辺に甲塚古墳や推定樹齢1,000年の大杉があることから、いわき市最古の神社と言われている。主神は大己貴命(おおなむちのみこと)こと「大黒様」。五穀豊穣・商売繁盛をはじめ、縁結びの神様。
出典元:いわき市観光サイト
大熊のキウイ[おおくまのキウイ] 大熊町
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大熊町はかつて、梨やキウイなどのフルーツ栽培が盛んで「フルーツの香り漂うロマンの里」というキャッチフレーズで親しまれていた。震災と原発事故後は町内で途絶えていた栽培の復活の動きが出てきている。
大須賀筠軒の漢詩碑[おおすがいんけんのかんしひ] 久之浜
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筠軒は幕末-明治時代の漢学者。磐城の歴史や民俗を扱った『磐城史料』など著作も多数残している。漢詩人としても知られ、南宗画を描き、久ノ浜の舟門に漢学塾を開くなど、教育にも力を入れていた。
大館城(飯野平城)[おおだてじょう] 好間
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岩城常隆が文明15(1483)年に飯野村に築いた城。いわきの政治・経済の中心地とし、戦国大名としての地盤をつくった。関ヶ原合戦後、岩城家は徳川家康の命により除封となり、鳥居忠政が入封したのち廃城となった。
出典元:いわき市観光サイト
小川江筋[おがわえすじ] 小川
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磐城平藩の郡奉行である沢村勘兵衛勝為が起工し、寛文5(1665)年に完成した水路。小川町関場にある取水口から四倉町に至るまでの約30キロメートルにおよび、約1200haの水田を潤す。水道水としても使用されており、いわき市の発展に寄与。
出典元:いわき市観光サイト